えー、昔書いたエントリにツッコミが入っていたので。
ブロードバンドとメッセンジャーは人を腐らせるか一応基本のツッコミを入れておくと、ブロードバンドだろうがメッセだろうが、ただのツールであってそれ以上でも以下でもありません。そこに実体的なものを期待して依存に陥ると問題でしょうが、道具として活用する分には善も悪もないはずです。
仰るとおりでございます。もちろん「ツール」は当然ツールにすぎません。あくまでさんざん繰り返すのは、これは自戒的な念の反復ですから(自嘲ですね・笑)。システム論にも頻出する話ですが、ルーマンは第一段階として「社会」と「社会システム」の峻別をしてパーソンズのシステム論を刷新しました。各諸要素としてのネット利便性及びツール・テクノロジーから被害を受けているように表現しているのは、これに対する論理的理解と精神依存との乖離状態がいかにバカらしく、かつ跋扈しているものであるのか。と考えたに過ぎません。
まー繰り返し言われてるくだらない言説ですが、我々はモノに溢れた成熟社会を生きていますから、ドミナント効果を渇望します。小さな利便性に逆らえないのは自明ですね。ウォシュレットなんか実際、なくてもいい。でも使ってしまうと、というものですね。高速道路におけるETCなんかもそうでしょう(笑)。
続けてツッコミのその通りなのですが(笑)、しばしば「目的」と「手段」は人に何かしらのモーション(大抵の場合は消費行動に演繹されると思われますが)を起こすものです。ですが、成熟化社会においては、それはワンパックとして「目的→手段」という形で我々の前に現れます。不安と安心がセットでやってくる時代に、我々は何を悩み、何に安心するのか。
中学生当時、私がキーボードのブラインドタッチをマスターしたときに、パソコンがスタンドアローンな電算機から、自分自身が思考するためのツールになり、不幸にも(幸せにも、ですが)パソコンなしの思考がおよそ考えられなくなってしまったことを思い出します。電算機がこのように私の自己認識を拡張したように、インターネットは距離や時間だけでなくさらに多くの諸要素を取り込んでいっていますね。
と、いいながら、今もキーをたたいている自分が面白いんですが。眠いんで適当ですいません。失礼。
