長年、ICQ時代から使ってきたメッセンジャーに嫌気がさしてきました。
ヒマなときはもちろん、仕事中にもずっとバックグラウンドで立ち上がっているMSNメッセンジャー。なんだか、コイツに人生狂わされてきてるのではないかと、最近本気で思うんです。
理由はいくつかあります。一つには――旧聞に属す話ながら――文字のみによるコミュニケーションの郵便的誤配問題。また一つは、人間の思考能力の偏りを起こすような気がするということ。
つまり、文章だけでのコミュニケーションは、とてもインスタントで楽な一方(楽というのは裏返せば思考停止だ)、思考が内的に閉じた状態で意思を媒介する振舞い。これを続けていると、その内的で妄想的な思考が、実生活にも現れてくるような気がするんです。少なくとも、僕は。
それで考えたのは、こんなことはうすうす数年前から気づいていたのに、なぜいままでずっと続けてきたのかということ。
理由は簡単だと思うんです。なんだ結局、こんなの孤独感を満たすための自慰行為じゃなかろうかと、そう思うに至りつつあります。
小さな利便性というのは、とても大きな罠です。なくてもいいものだったはずのものが、いつのまにか潜在依存的に自分に巣くうという罠。サイゾー『M2』の連載で以前議論していたことですけれど、それこそ、ウォシュレットだとかETCだとか、なくてもいいものにどんどん依存していく。なかったらなかったでいいものに。
なんだかすごく大きな危機感が僕を襲ってます。文字媒体のコミュニケーションの比率が、実際のコミュニケーションの比率を超えると、病的な状態にどんどん落ち込んでいく気がします。
終わらない日常を生きろってのがありますけど、終わらない日常って、メッセンジャーに他ならないんじゃないかしら。もちろん、これは自分だけの解釈なんでしょうが。
メッセンジャー・コンピュータ・携帯電話から一刻も早く離れたい。それが(カッコ付きの)健康に到達できる、しかもいますぐできる最短の処方箋なのかもしれないな。
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» ブロードバンドとメッセンジャーは人を腐らせるか 送信元 ish☆石倉由のブログ
Clipper's Memorize No Future. さんで、「くたばれブロードバンド」「くたばれメッセンジャー」という記事がエントリされていました。 ブロードバンドは一体、僕らの生活に何をもたらした? 潜在ひきこもり人口を増やして、鬱屈した心理状態を圧迫し続けるだけじゃぎ.. [詳しくはこちら]
本当の意味でのコミュニケーションはパソコンの中には存在しないからね。
もっと面と向かって話をしよう。みなさん。
でもそろそろ携帯メールに加入しろと言われている俺。
しかもこの書き込みも一方的(笑)。
takerattaです。
とても興味深く拝読させて頂きました。
スローライフって大事なのかもしれませんね。
>とみたん
もっと面と向かって話をしよう。みなさん。
↑その通りだと思います。まったくその通り。
>takerattaさん
これをスローライフというのかどうかは微妙なんですけど、
逆ネットライフとでもいいましょうか、そういうのが
今「僕には」求められてるような気がするというお話です。
しかし、なんなんでしょうね、この無駄にアクセラレートされた社会。あーあ、っと。
自分はないと困るかなぁ。
ファイル転送の多い自分にとっては欠かせないアイテムと
なってる。
チャットとしてというよりはフロッピー代わりってとこだろうか。アドレスも複数用意してて、PC相互間でファイル転送に使用してますね。ただのめんどくさがりだけなんだけど(笑)
