Weblogを考える

 当Weblog、Clipper's Memorize No Future.を開設するにあたり、一番はじめにヘッダにこう書きました。 “Weblog, as it were an Airport. The first 'blog' is about to take-off.”  私のWeblogのイメージは空港です。空港は乗り入れ自由な場所です。ですが、誰しも自由なわけではありません。乗り入れるには、または、そこに「入国」するためには、パスポートという“リテラシー”がいります。ですから、後述しますが、語るべき言葉を持たずに、ツールとしてのWeblogだけをうっかり手に入れちゃった人たちこそが、Weblogの脅威です。それはある意味、北朝鮮的であり、2ちゃんねる的であるからです。

 Weblogはインフラであって、情報ではないと思っています。URLという概念がなくなる可能性すらあると私は考えています。そしてトラックバックは仮想ではない(!)シンクタンクエンジンです。その意味で言えば、このMovableTypeのシステムは、政府情報管理行政を完全に否定できる可能性をも含意しています。  MovableTypeは、Personal Publishing Syetemの名のとおり、パブリッシングエンジンとして語られてきています。我々の情報は我々がスクリーニングし、発信して、情報を理解できる人=咀嚼できるWebloggerが――ある種、密教的に――トラバしていく。すると次々と、勝手に自分へ、しかも関心のある情報が入ってくるようになります。それは“結社化”であり、ある種の自己組織化=結晶化が起こると言えます。しかも、匿名でそれが可能です。  しかしここに弊害があります。語るべき言葉を持たずに、ツールとしてのWeblogだけをうっかり手に入れちゃった人たち――つまり、日記ポータルサイトの代替物としてのWeblog利用です――彼らが連係するのは、もはや必然です。  このように説明をすると、「メタベースとしてのインフラと協業による力の獲得について言っているのか、それともホントに従来と同じ意味でのインフラなのか」という疑問がきっと生まれるでしょう。  私が言っているのは、電話線と同じ意味でのインフラストラクチャーです。では、ここでインターネット黎明期を引き合いに出しましょう。  インターネット黎明期には、日本にはニフティサーブ(中学生時分、パティオやってました…)があったから、そんなものは流行らないと言われていました。でもいつの間にか、インターネットは日本でも飽和・拡散し、当たり前の情報源になりました。そういう文脈で考えると、いつの間にかWeblogが当たり前になるとすれば、それ――つまりWeblogは――もはや、インフラだと思うんです。  URLが不要になるということについても補足が必要でしょう。  トラバと、MTit=bookmarkletがあれば、URLをわざわざ打ち込むことはなくなるかもしれない、という可能性があると思うのです。自分の管理するWeblogは、オリジナルかつ、カスタマイズ容易な、オープンソースプラットフォームです。ある意味では、情報を得るためのDIYのOSとも言えるでしょう。 そして、後押しついでに、グーグルがRSSレイティングをしていることが今後の発展(よくも悪しくも)に大きな影響を与えるでしょう。同じことをMSNもやっていますしね。とかく、5年後が楽しみです。

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トラックバック時刻: 2003年10月26日 14:14

» リミテッド・パブリッシングとしてのweblog 送信元 blog::TIAO
weblogはそのネットワーキング機能などで、新しいWebパブリッシングの主役のように最近語られているが・・・。 ぼくも最初はそういったスケベ心を持ちながら始めてみたのだが、しばらく継続してみた感覚でいえば、ちょっと違うかな・・・、と最近思っている。... [詳しくはこちら]

トラックバック時刻: 2003年10月27日 11:58

コメント (3)

おはようございます。yoshiです。考えさせられるentryですね。ベーシックなガイドライン、全く同感です。いくつか補足させていただくとすれば、ブログの場合、2chのように完全な匿名の状態から極度に記名性の高い状態までをコントロールできる(しなければならない)自由度の高いツールである気がします。その分、公共性との距離感を常に意識的に測る必要があるのではないでしょうか?これは日本人の弱い部分ですね。

それから、2chやblog等の新しいツールに対して私たちは、子供の頃に体験したものを拡大・洗練した上で追認している気がします。2chのメタファーである「便所の落書き」というのも、実は原初的な体験(落書きを書く・読む)の強度から捉えると実に良くできた言い回しです。色々考えてみると私の場合、体感的にblogに最も近いのは、小学校の頃の糸電話と学級新聞を組み合わせたものなんですね。

いかに洗練されたツールであっても、この辺の驚きに対する追認欲求に応えない限り、それは浸透しないのではないでしょうか?MSオフィスについても、最初にユーザーがExcelに触れたときの身体的な体験を分析しない限り縮小再生産的なverアップを続けるしかないのでしょう。ipodは、学生時代に初代ウォークマンを手にとり耳にしたときの驚異と興奮を強烈に感じさせるツールに仕上がっています。

この辺、kobaさんのご意見もぜひ伺いたいものです。

投稿者: yoshi | 日時: 2003年10月25日 10:11

はい、呼ばれたようなので、Koba登場です(笑)。
私は技術的要素から定義すればいいと思っているので、概念的な定義はそれぞれ仰せのとおりだと考えております。技術的な定義だけでは片手落ち(おっと、タブー語か)であるとしても、残りは神学論的言説になって閉塞するかもしれないで、今回は公式には見送る方針(笑)かな。

たぶん、ユーザーが増えれば定義自体が無化されることって多いな、と。インターネットも93、94年ごろの「これは人類にとってこういうものだ」言説が西海岸系左翼の真面目な人たちを中心に流行りましたが、こんなに普及してしまうと概念の定義は問題ではなく、生活OSとして何を乗せていくかって話にさっさっと切り替わってしまった感があります。(むしろ、私の場合これまでの原動力はタダでエロが堪能できる、という一点につきるわけです。そのためにはTelnetもGopherもなんでもしました)

革命的インフラ登場の図式としては、こうです。
1)これは何だ!すごい発明だ!……と知識人が騒然。
2)これはこれだ!いや、お前は違う!流行る、流行らない……と知識人が騒然
3)そうこうしているうちに、爆発的に普及。非知識人も騒然。
4)エロやアホォやデムパやカルトが登場。世代もバックグラウンドもさまざまで議論も交差せずに混乱。
5)知識人はとっととタコツボ化するか、飽きるか儲けるかしてカイサーン。

なので、今回の場合にはRSSやATOMに何を乗せて、何するのかが次の争点です。いまは便利ツール登場!ぐらいにしか認識されていないし、いっぺんにいろいろ言ってもわからないので、そのくらいがちょうどいいかと……。

好むと好まざるにかかわらず、インフラはアップデートするだろうし、ユーザーが増えたら、定義はあとからついてくるので個人的にはケセラセラ。Weblog的には、まだその端緒についたばかりなので、RSSを吐き出すユーザー(というか、自分的にはお友達・デムパは嫌い)が増えることをただただ待っています。

投稿者: koba | 日時: 2003年10月27日 15:55

>yoshiさん
「公共性との距離感を常に意識的に測る必要がある」
おっしゃることがよくわかります。日本人に弱い部分まさに、です。ご意見ありがとうございます。

>kobaさん
「RSSを吐き出すユーザー(というか、自分的にはお友達・デムパは嫌い)が増えることを...」
全くそのとおりなんですよ。言うことないです。

投稿者: nishi | 日時: 2003年11月01日 07:25

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